教外別伝不立文字 。元来、「這裡」つまり仏法のぎりぎりのところには一言のことばも文字もありません。説明することができないのです。それにあっても祖師方はこのように 禅宗四部録といったものを残してくださっている。それは祖師方の痛心切実なればなりであり、まさに「練り出だす人間の大丈夫」です。そういう気持ちで提唱させていただきます。
坐禅儀について
坐禅儀の成立は、それほど古いものではありません。実は、成立年代とか、誰が書いたかということは明確には残っていないらしいのですが、種々の状況を考えていくと中国の宋の時代、長蘆宗賾禅師というお方が作っただろうと言われています。もともと宗賾禅師は自分が生まれるより五百年も前の唐の時代に書かれた百丈禅師の清規を一所懸命探したけれども、結局見つけることが出来ませんでした。そこで断片的に残っているものなどを頼りにまとめたものが、この坐禅儀であるともいわれています。ちなみに、長蘆宗賾禅師は碧巌録、雪竇明覚和尚の法孫にあたります。
坐禅儀の構成は、大きく四段に別れると思います。まず、坐禅は何のためにするのかという、坐禅の目標がズバリと書かれているのが第一段、そして、具体的にどうやって坐るか、右の足をどうのとか具体的なことが書かれているのが第二段目です。そして、第三段目に坐禅修行をするときの用心が事細かにあり、最後の第四段目に禅定の ことについて書かれています。
この坐禅儀にはひとつの根底となる考え方があると思います。それは六祖慧能 大師の「定慧一等 」という考え方です。六祖壇教にも定慧一等、定がすなわち智慧 であり、智慧を引き出すものは 定 であるという考え方が貫かれています。そこを把握しておくと、わかりやすいのではないかと思います。
坐禅儀 (第一段)
「それ般若 を学ぶ菩薩は先ず大悲心を起こし 弘誓 の願 を発して三昧 を精修し て誓って衆生を度すべし。一身の為に獨 り解脱を求めざるなり」
まず最初に「般若 」とあります。禅宗禅学辞典には、「煩惱生死 を除く智慧、有為無為の一切を截 る智慧」と書かれています。定慧の「慧」、智慧が「般若」です。それを学ぶ菩薩、すなわち我々は、まず大悲心を起こす。そして、弘誓の願を起こして、三昧 を精修する。この「三昧」と言っているところが「定」です。もう最初のこの一文のところに「定 」と「慧 」がそのまま出ているわけです。
私が最初に鉄舟会の門を叩いたのが二十代の前半でした。当時は、まだ大森老師がご健在で、書店に行けば、大森曹玄老師と山田無文 老師の本が所狭しと並んでいました。まだ何もわからず一所懸命その本を読んだ記憶があります。その時に、禅宗四部録、坐禅儀も読みましたが、この一文で、「もうダメだ」、自分にはできないと思って、鉄舟会には四回くらい来てやめてしまった。それ位に、私には非常につらい一文でした。
もう自分がなんとか救われたいという一心で来ている、「一身の為に解脱を求めて」いるわけですから、それを頭から「そんなもんじゃ、どうしようもないだろう」と言われて、「ああ俺には禅の修行なんかできないんだ」と、そういうのに値するような人間ではないんだ、というふうに、それくらいこの坐禅儀が立ちはだかっていたという記憶があります。
臨濟録の中に「示衆 の三句」と言われるものがあります。
若し第一句の中に得れば祖仏のために師となる
若し第二句の中 に得れば人天 のために師となる
若 し第三句の中 に得れば自救 不了 と。
第一句、パッとこれを聞いて、即座に「はぁ、そうだ!」と、このことにまっしぐらに行けば、それは祖仏、お釈迦様と全く同じ気持ちだよと臨濟禅師は言います。そういう根機の人は実際にいると思います。第二句のうちに得れば、つまり、この坐禅儀のようなかたちで解説を聞いて、それで「なるほどな!」「これだろう」というふうにわかる人は人天 のために師となる。皆さんのために師となることができる。第三句と言っているのは、更にもっと色々噛み砕いて、あれやこれやと手を尽くして言われてやっと、まあそうかなという風に思った者は、自救 不了 。自らを助けることも出来ないというか、自らは助けることが出来ないというか、要するに人の助けが必要だということです。二十代の私はその三句でもわからなくて、逃げ出してしまった訳ですから、話になりません。
ただ、臨濟禅師はそう仰っていますが、最近私が思っているのは、その逆も正しいだろうということです。最初は第三句にわかって、次に第二句、そして第一句にいく。そういう道もあって然るべきだろうなと思っていますし、大森老師の参禅入門にもここのところは明確に書かれています。だから、まずは自分の解脱を求めることでも良いのではないだろうか。そして第一句にわかるという世界がその先にあるんだということを持って修行をやってくれよと、そこはそういうことで良いのではないかと思います。
坐禅儀(第二段)
第一段目で示された「目標」に向かっていくために、どのようにやっていけばよいのか、次の第二段目に入っていきます。
「爾 、乃 ち諸縁 を放捨し萬事 を休息 し身心一如 にして動静無間 なるべし」
これは読めばそのとおり。諸々のしがらみを放して一切のことをやめて身心 一如 だから動静無間 でやってくれよということですが、言うは易し行うは難しです。特に居士禅はここに注意が必要です。僧堂に行くと諸縁は放捨して萬事は全部休息 しています。もちろん作務だとか、猛烈に厳しいのですが、とにかく修行中はやることは決まっている訳です。だから、諸縁を放捨して萬事を休息 していると言っても過言ではない。いやでもそうなる。身心一如なんて当たり前のようになってしまう。
動静無間 も当たり前です。さっきまで動いていたと思ったら、もう作務着を衣にすぐ着替えて、それも一分もかからずにすぐ着替えて、すぐにばっと単に上がってもう安単しなければいけない。何か始まる前には十五分前安単といって、坐禅のかたちをとっていなければいけないのです。そういう状態ですから、これは当たり前なのです。逆にいえば、そのために僧堂というものがあるわけです。坐禅儀に言っているこれを成し遂げるために、そういうシステムがあるわけです。
しかし居士禅はこれを自分でやらなければいけない。坐禅例会がある、朝の坐禅、夜の坐禅がある。それは用意されるかもしれないけれども、そこに当てはめていくのはご自分です。諸縁を放捨するのも自分だし、萬事を休息するのも自分だし、諸縁を諸縁として成し遂げるのも自分だし、萬事を全部自分でやらなければいけないのも自分で、全部自分でやらなければいけないわけです。だからものすごく難しいのです。
毎日、スベッタ、コロンダ、自分の尻ぬぐいだけでなく他人の尻もぬぐわなければならない。朝、目覚めたら夜寝るまでジェットコースターに乗ったように激しく動いている。その中でも禅修行を志した皆さんです。どうか、一足飛びに行けないとしても自分の修行の流れというものを自分で作っていただきたい。本当に心からそう思います。
「動静無間 」とは、動静に 間 なしということです。昼間、仕事をして働いている時にも坐禅のところ、或いは公案の拈提 、というように間 がないということです。その感覚を掴 んでいただきたい。鉄舟誌にも書きましたが、「さぁ坐禅やるぞ」「さぁ拈提するぞ」では間が空いているのです。動静無間 なるべし。ここのところを是非、汲み取っていただき、これから修行していただければと思います。
「禅宗四部録 坐禅儀提唱」(平成三十年十一月三日 提唱を抄録 鉄舟会齋藤)
「その飲食 を量りて、多にあらず少にあらず、その睡眠を調えて節 ならず、 恣 ならず」
坐禅する前に食べ過ぎてもいけないし、少な過ぎてもいけない、睡眠は削ってもいけないし、たくさん寝ても駄目だと。この通りですが、いつでもこういうことができるかどうか。
お母さんが赤ちゃんを育てる時に、自分の食事が十分とか、少ないとか、睡眠が十分、不足などと言っていませんね。どんな時でも赤ちゃんのことを思って自分のことなど忘れている。仕事でも何か大きなトラブルが起きれば、無関係に対応する。ここは、その食事の量について多とも少とも思わず、多ければ多いなりに、少なければ少ないなりに坐禅に立ち向かう、本参の話頭に参じる。睡眠も同じで、睡眠が少なければ少ないなりに、坐禅三昧、そうやってくれよと、読んでも良いのではないでしょうか。一人で坐るときは特にそうです。「眠いから明日の朝にしよう」、朝になったら、「眠いから夜頑張ろう」と、そんなことではどうしようもないということです。
「坐禅せんと欲する時、閑静の処において厚く坐物を敷き」
大森老師も「わざわざ喧騒の中で坐ることはない」と「参禅入門」に書いていらっしゃいます。大燈国師が京都の橋の下で悟後の修行をされた。でも、初期の段階で、わざわざそのような所を選んで坐禅する必要はありません。家でもやはり、静かな時間帯に坐るのが良いと思います。そして、坐物についてもうまく調節しないとなかなか難しいということです。
「 寛 く衣帯 をかけ」
これはきつく縛りつけず、そうかと言って緩すぎても良くない。うまく調節していただきたいと思います。
「 威儀 をして斉 しく整えせしめ」
威儀とは、服装です。袈裟をつけるのか、絡子 をつけるのか、出頭の衣にするのか、雑衣にするのか、作務着にするのか、色々その時、その場に即した威儀があります。家で坐禅する時は坐禅するに適した服装にして、それなりに身を引き締めることが必要だと思います。
そして威儀を拡大解釈して行住坐臥、一日中の立居振舞いということまでと、考えてみると、坐禅する時だけではなくて坐禅の前後も、坐禅中と同じように整えなさいということになります。動静無間と同じだと思います。僧堂では十五分前安単 といって、定められた時間の十五分前から坐を組みます。その時も止静と同じで一切動くことは許されません。また、二便往来 がかかった場合には二便往来しかしません。二便往来中にちょっと体をほぐすとか、ストレッチなどをすることはしません。勿論、話をすることなどありません。五分ほどで二便往来を済ませ服装を整えてすぐに十五分前安単します。全くゆるみが無い。それが規矩です。これも広い意味で威儀を整えるということだと思います。このように前後間断なくするということです。鉄舟会でも十五分前安単を励行していただくようにしております。
「しかるのち結跏趺坐 して、まず右の足をもって、左のももの上に安ぜよ。左の足を右のももの上に安ぜよ。あるいは半跏趺坐 は又可なり。ただし左の足をもって、右の足を圧すのみ」
坐禅の基本は結跏趺坐です。しかし、長時間坐る時に結跏で通していくことが難しい場合は、足の組み換えとして半跏趺坐をしても良いということです。そしてまた結跏趺坐に戻します。結跏ができないからズット半跏でも良いということではありません。しかも、結跏趺坐の場合の足の組み方はこう、半跏の場合はこうと厳密に書かれています。結跏と半跏では足の右左が逆になっていることに注意してください。結跏趺坐の方が座骨の安定、両膝の安定が良いと思います。その結果、丹田への集中もやり易いように思います。結跏趺坐が一番定に入りやすいというのは慣れてくるとよくわかります。半跏趺坐の時にも、足を腿の付根にグッと持ってくることです。そうすることで結跏趺坐に少しでも近づけることができると思います。しかし、余計な力を入れることが最も問題ですので、身体が慣れないうちは楽に坐れる足の組み方を自分で見つけてください。そして少しずつこの坐禅儀に書かれているようにしていってください。
ここは、サラッと言いましたが大変重要なことです。
「次に右の手をもって左の足の上に安ぜよ、左の掌を右の掌の上に安ぜよ。両手の大拇指をもって面に相支え」
これも非常に大事なことです。これは法界定印 のことです。直日は何を見て警策 を振るうかというと、大きく三つあります。
一つは姿勢です。これは明らかに分かりますね。二つは目です。
半眼、活眼を問わず眼が閉じているのはだめです。これは坐禅儀の後段で説明されていますので、後で詳しく説明します。そして最後は手です。法界定印は円相を作るようにして組みます。結手でもなんとなく組むのではなく、そこに円相が出来る心持で組みます。ボーットしたりすると直ぐにこの円相が崩れます。直日はそこを見て、直してあげるということが大切です。警策を振るう必要もあると思います。自ずと気が丹田に集中してくると円相になります。手は、その人の坐禅が禅定 状態に入っているかどうかを明確に物語っています。自分でも崩れたら直し、崩れたら直しと赤子を守るように大切にすることが重要だと思います。
「禅宗四部録 坐禅儀提唱」(平成三十年十二月一日 提唱を抄録 鉄舟会齋藤)
「徐々にして身を挙げ、前後反覆し左右揺振して、すなわち正身端坐す」
骨盤の傾き具合を調整するのが前後反復してというところ、座骨から両膝の安定が左右に揺振ということです。これをもたもたやっていてはいけません。素早くできるようにしないといけません。これは個人差があります。すぐに出来る人もいれば身体が固くてすぐに痛くなってしまう人、筋肉の弱い人などは血流の滞るることで足がだるくなってしまったりします。少しずつ少しずつ慣らしていく。決して諦めたり、焦ったりしないことです。私は鉄舟会の一炷でも地獄のようでした。力みがありました。しかし、時間はかかりましたが、慣れてくると一炷や二炷では物足りない位に感じます。
「左に傾き右に側ち前に躬り後ろに仰ぐことを得ざれ」
この左右の点検は、自分ではわかりづらいと思います。これを正すのは直日の役目です。何炷も何炷も坐っていると自分は真っ直ぐにしているつもりでも傾くことがあります。前後はまだわかりやすいのですが、左右が非常にわかりづらい。姿勢が傾くと禅定に入りにくいということもありますが、物理的に体に負担がかかりますから、坐禅が長続きしません。ですから、直日に直された時に自分の目で目標を定めておきます。僧堂だと前方にある連子窓の格子一本一本で姿勢がどこまで直されたかを見て、そこに向けて姿勢を修正するようにします。自分の家や鉄舟会で坐る時も姿勢をあらかじめ誰かに見てもらって目印を決めておくと良いでしょう。
「腰脊 頭頂骨節を相い拄 え、状 浮屠 の如く令 めよ」
浮屠 というのはストゥーパ、仏塔です。腰骨から頭のてっぺんまで相い支え、ピラミッドのように容 がどっしりとして立ってるようにしろと。これは簡単に書かれていますが実際にはむずかしいと思います。僧堂では、直日が雲水の腰に巻いた太 っとい手巾を持ってぐうっと引っ張り上げます。すると、腰がぐうっと入ってくる。それを新到の間に、何度も何度もやられます。背骨がS字カーブを描かないと正しい姿勢にならないのですが、私の経験ではS字カーブを描くために一番大切なのは骨盤の前傾だと思います。後傾するとS字カーブが崩れるのでピラミッドのような容がつくれません。大森老師は股の間に丹田をぐっと入れろというように表現しています。まさしくそれは骨盤を前傾させることです。
骨盤を前傾させるためには、お尻の筋肉と鼠径部の柔らかさが必要です。また、太ももの後ろのハムストリングが弱いと支えきれません。腰にぐっと力を入れてやればいいだろうと思うかもしれませんが、腰やお尻の筋肉が緊張していると、腰の前傾がうまくできません。また、筋肉の弱いのも骨盤の前傾を難しくします。
鉄舟会では、直心陰流の法定をやっています。これは筋肉を鍛える上でも大きな意味があると思います。僧堂では激しい作務がありますから、これはもう嫌でも鍛えられています。
「又、身を聳 やかして大きに過ぐることを得ざれ。人を令 て気急して安からず」
これは今言いましたように、物理的なことを考えもしないで、むやみにぐうっとやろうとしても、それは、気ぜわしくなるだけで、ちっとも落ち着きませんよという注意です。
「耳と肩と対し鼻と臍 と対し、舌上顎を拄え唇歯 相著 け令 ることを要せよ」
耳と肩、鼻と臍の関係で坐相の点検について述べています。そして舌を上歯ぐきにつけて口をキリット結びなさいと。大森老師の参禅入門には、きちんとした坐ができれば、自然にできると書かれています。呼吸が安定してきて、丹田のところに気が集中してくると自然にこうなります。その時に、口の緊張を緩めると一挙に丹田の気が抜けることがわかります。ですから、坐禅の始めからこのようにしておいた方がよいと思います。しかし、口を食いしばるのは絶対にしてはいけません。
「目 を須らく微 し開き、昏睡を致すことを免るべし。若し禅定を得れば其の力、最勝なり」
ほとんどの方は、坐禅は半眼だと思っているのではないでしょうか、私の僧堂時代は活眼でした。閉目、開目、半眼、活眼の四つがありますが、開目していても、半眼と同じく定に入っていくことができます。活眼か開目かの違いの一つは瞬きです。丹田呼吸が落ち着いて出来上がってくると、瞬きをしなくなります。だいたい呼吸の四回か五回に一回ぐらいしか瞬きしない。それが活眼です。昏睡を致すことを免るべしとありますが、半眼にしていても眠る人は眠ってしまいます。一方、どんなに作務がきつかろうが、どんなに睡眠が短かろうが、眠ない者は絶対に眠りません。なにがそういうことをさせるかと一言でいえば真剣の度合いです。
坐禅して公案の見解 を立てようと思っている人は眠るように思います。見解を立てようと真剣に拈提するので眠らないだろうと思ったら大間違いです。見解が出た途端に安心して眠ってしまう。だから一炷 の間に眠るか、二炷目、三炷目に眠るかはわかりませんが、見解を立てる人は、いつか眠る。大事なことは、公案を拈提 するときに公案三昧になることです。公案三昧になるとは公案の見解をひねり出すことではありません。公案そのものになってしまうのです。なんとなく見解をひねり出して、「まぁいいか、これで行ってみよう」となった瞬間に坐禅が自分の中で終わっているのです。だから眠る。
本当の坐禅の目的、公案拈提の目的は三昧になることです。 しかし、相当熟してこないと、この感覚が掴めない。それでも立て直し立て直して、坐禅そのものになっていく、公案そのものになっていく。そういうことを馬鹿のように繰り返す。すると眠る暇などないのです。
たった一炷の間にも眠る人がいます。それはもう、そういうことだから、眠る。しかし、そこを我慢し、ここだなと掴まえた時その力最勝なりと坐禅儀はいっています。
「禅宗四部録 坐禅儀提唱」(平成三十一年一月五日 提唱を抄録 鉄舟会齋藤)
僧堂の大接心では、朝四時に起きて夜中の十一時まですべての動作は鳴り物を合図に行います。一日中言葉を発することはありません。その為、自分の中へ中へ入っていくことがしやすいのです。一週間、続けていくうちに、自ずと坐禅儀で言う定 に入っていきます。それが大接心の大きな意味だろうと思います。
臨済禅では公案拈提を修行の一つとしますが公案は解く為にあるのではなく、禅定を培う為にあるのだということを履き違えないで欲しいと思います。クイズみたいに考えてしまえば、電車に乗っていても見解を捻り出すことができます。道場へ来て一炷か二 炷坐って入室し、手掛かりを求める。それは禅の修行に程遠いと思います。居士禅に限らず注意の必要なところです。僧堂では「公案を分かろうなんて、甘ったれた考えでどうするんだ」「公案を分かろうとすること自体が間違っている」と言われます。では、どうするのか。「自分が分からなくなるまで坐れ」と言われます。そう言うと公案の拈提ができませんと言う人がいますが、心配いりません。捻り出しても入室で跳ね返されるだけですから。家でも、きちんと時間を決めて、どんなに疲れようが坐らないとダメです。雲水でも大接心の最初の三日間位は体が言うことを聞いてくれません。四日目位からようやく体の力が取れて坐禅そのものになれます。ですから鉄舟会で参禅する時にも、日常の修行がとても大事になります。ましてや、貴重な参禅の機会を逃すのは大変残念なことです。
「目を須く微し開き昏睡を致すことを免かるべし」
寝ないように少し目を開きなさいと読めますが、目は瞑っても寝ない者は寝ません。目を開いていても寝る者は寝ます。修行の心構えの問題です。昏睡を致すというのは、ただ単に眠るということではありません。自分の世界に入ってしまうこと、気持ちの良い世界に入ってしまうこと、坐禅儀はこれを嫌っています。自分の世界に入ってしまうから眠るのです。自分を覚醒させて生きた禅をしなさいと言っています。その為目を開く、心の眼です。
「若し禅定を得れば其の力最勝なり」
禅定とはここでは、坐禅による定力を言っています。定は三昧ですから、禅定は「坐禅による三昧」となります。もしそれを得れば、定の力は最勝なり。坐禅による三昧 の定力が、定力を養う中で最も最勝であると。三昧 王 三昧 のことです。禅定が何故必要なのか、後で述べることになると思いますが、ここでは定力は坐禅で錬るのを主とすると捉えてください。
「 古 え 習定 の高僧あり。坐して常に 目 を開く」
過去の禅匠は坐禅する時、常に目を開いていたぞと。この坐禅儀を書いたといわれる 長蘆宗賾 禅師も聞き伝えに、あの人も、この人も目を開いていたと聞かれたのでしょう。
「 向 の法雲の円通禅師」
法雲の円通禅師とは、長蘆宗賾禅師のお師匠さんです。非常に尊敬しておられたのでしょう。「古え習定」と一般論をもってきた後に、「俺の師匠の円通禅師はこうおっしゃった」と具体的な話を持ち出してきたわけです。こういうところが、禅の師承の師承たるところ、師子相承のところだと思います。自分の師匠から言われた言葉は生涯忘れません。
「 亦人の目を閉じて坐禅するを訶して以って黒山の鬼窟と謂う。蓋し深旨の達者有りてこれを知るべし」
これは有名な言葉です。黒山の鬼窟には「独りよがり」という意味があると思います。禅は気を付けないと、そこに陥ることがあります。自分の考え、自分の世界で、公案も勝手に解釈する。無字三昧だというのに正反対の「有」で捉えてしまう。修行中はどこまでいっても無字の世界です。有の世界に身を置くのは修行の目処がついてからです。居士の場合、この有無を分けて生活するのが難しい。その為、知らず知らずに有で考える癖がついているのです。これも鬼窟です。そこをよく理解した上で間違った方向に行かない様にしなければなりません。その意味でも目を開くのですが、なんといっても入室して点検することが欠かせません。
「身相既に定まり気息既に調い然して後、臍腹を寛放 し一切の善悪、都て思量すること莫れ。念を起こして即ち覚す。之を覚すれば即ち久久 に失す」
身体の相が決まって、呼吸が整った後、丹田とその周辺、下腹部全体をゆるめて一切の善悪を思量すること莫れと。呼吸というと腹式呼吸、丹田呼吸、逆腹式呼吸とか色々あります。事細かに研究したのが天台の門です。長蘆宗賾 禅師も天台の 魔訶止観 あるいは小止観、そういったものを読み込んでここへ持ってきているわけですが、「気息既に調い然して後、臍腹を寛放し」と、この一行で呼吸の要点を述べています。物理的なことを申しますとお腹周りの筋肉というか筋膜が固くなると胸が引っ張られ猫背の方向に向きます。すると益々、胸の周りも固くなり首も前屈みになり坐相が崩れてきます。そういう時、お腹から胸にかけて手で擦っていくと胸が開くのが分かると思います。力むとどうしてもお腹の筋肉に力が入り、前屈みになり胸の周りも固くなって坐相が崩れます。丹田に気を集中させても、表面の筋肉を固めてはいけません。自然に呼吸をしていると坐禅が進むにつれ、丹田、腰周辺に気が充実するようになります。「臍腹を寛放し」にはそういう意味があると思います。次回は「一切の善悪」から入ります。
「禅宗四部録 坐禅儀提唱」(平成三十一年一月十九日 提唱を抄録 鉄舟会齋藤)
坐禅には、一人で行う坐禅と皆で行う坐禅とがあります。一人で行う坐禅を独坐、皆で行う坐禅を規矩坐といいます。規矩とは、僧堂の決まりです。その決まりに則って行う坐禅なので規矩坐といいます。後に師家になるというほどの雲水は規矩坐以外に寝る間を惜しんで夜坐を行っています。規矩坐以外に何故独りで坐るかというと、そこに自ずから違いがあるからです。独坐は自分のペースで行えますからその時の状況により納得いくように坐れます。一方、規矩坐は坐禅、二便往来 、経行、入室 など時間を厳格に決めて行いますので、そこには自分のペースの入る余地はありません。規矩のペースがあるだけです。次の公案を見てこいと言われても、語を引いてこいと言われてもその間は出来ない。規矩坐が全て終わった後、皆が寝静まった中一人で調べるしかないのです。大接心中など、睡眠時間が二時間程度などということはザラです。そういう厳しさがあります。しかし場のエネルギーにより禅定 を錬ることが出来るのです。
更にもう一つ、規矩坐には修行の上で大切な意味があります。私が隠侍をしていた時に老師が新到雲水に「僧堂では皆が同じことをやることに意味がある」と仰られていたのを思い出します。実際には「やる」というよりも「やらされる」わけで、最初はいやでいやでしょうがないのですが、「同じことをやることに意味がある」と老師は言います。つまりそれは、そこに「自分が無い」ということです。自分の考えの入る余地がない。常に「自分を差し挟むな」ということです。しかもそれは坐禅に限りません。三六五日、二十四時間全員が規矩に則って生活する。一つも勝手なことが出来ないようになっているのです。だから、 拈提を深めようとすれば、他の雲水が寝静まった後にそっと抜け出して夜坐をするしかないわけです。
居士禅も家で坐るのと例会に来て坐るのとでは大きな違いがあるのです。例会では皆で掃除をして同じ作務をしてお経を読んで坐禅してと。それが積もり積もって禅の修行になるのだと思います。禅会で坐禅だけすれば良いと考えている人や、参禅だけすれば良いと思っている人を見かけますが、それでは修行にはなりません。それはかえって自己増長になってしまいます。皆と同じことをする、ここに修行の意味があるのです。そう考えて坐禅儀を読むと、一層深く読むことができると思います。
「一切の善悪、都て思料すること莫れ。念起きて即ち覚せよ。之を覚すれば即ち失す」
善悪を思量しないということは、どこにも心が付着しないということです。どこにも付着しないということは、どこへでも動いていけるということです。不動の動です。どこへもで動いて、用が済んだらもうどこにも付着しない。それを坐禅儀では一切の善悪を思量すること莫れといっています。念が起った時、それに「ハッ」と気づけばなくなる。これは事実です。しかし、またすぐに念が起きてくる。念が起きては消し、念が起きては消し、この連続をずっとやるわけです。心から「なるほど」と納得するまではどうしても「是で良いのか」「ダメだな」の思いが先行します。そこを打破してくれるのが信じる心です。「信心銘」の冒頭に「至道無難 、唯嫌揀擇とあります。道に至ることは難しくない。ただ揀擇く、選択をしなければ良いと。これが善悪を思量しないということです。「信心銘」は「信ずる心の銘」です。何の疑問も持たずに頭から信じたのでは妄信に過ぎないのですが、この信じるという心が決定しない間は修行にはなりません。信じるというのは身を任すことです。
師を選ぶのに三年掛けろと言われます。これは、師を選ぶのにじっくり時間を掛けろということですが、師に就いて三年経なければ、その師が分からないとも言っているのです。「良い」とか「悪い」とかを語る前に、先ずその師に真剣に就いて信じてやっていくということです。上士は恨につく、中士は徳につく、そして下士は勢につくといわれます。師の徳を慕って修行している内は修行の成就は難しいと思います。それは自分から求める心が弱いからです。師の悪辣な仕打ちに会ってこそ本当の修行です。師に悪辣な手段を取らせるかどうかは修行者の真剣さです。
ところで、「念起きて即ち覚せよ。これを覚すれば即ち失す」を「念起即覚 、覚即失」とそのまま読めば、念の起こるその者が覚者、悟るものであり、覚というのは即ち捨てること、失であると読めます。つまり、昨日もだめ今日もだめという念の起こるその人が覚者だぞ、その念が去った時そのまま覚者だということです。これは理屈のように聞こえるかもしれませんが念の起こるその者が仏だから修行が成就するのです。
「久々に縁を忘じて、自ら一片となる。これ坐禅の要術なり」
縁には内縁と外縁があります。内なる縁とは念、主観です。外縁は外境、客観です。主観も客観も無ければ、ひとつしかありません。これは理の上ではそういうことですが、実践ではなかなかそうはいかない。昨日もだめ、今日もだめ、それでもいいのです。それは自分がだめと考えているだけで、法の眼からみれば念が起きては切る、念が起きては切る、その刹那、刹那に法が現前しているからです。(実は念が起ころうが起こるまいが、法は現前しています)だから、止むことなく、真剣に求法すると縁に会ってハッキリと自覚し、体現するのです。これが坐禅の要述です。「久々に縁を忘じて」とは「正念相続です。「自ら一片となる」よう正念相続する、これを工夫といいます。
「 竊に謂んみれば坐禅すなわち安楽の法門なり。しかるに人多く疾を致すは、蓋 し用心を善くせざるが故なり」
この疾について天台の 魔訶止観や小止観に色々書いてあります。安楽の法門なのに坐禅をしていて肉体的な病気にもなるし、精神的な病気にもなってしまうのはどういうことか。それらに対する諸注意が書かれています。用心が足りないからだ、間違った方向に行ってしまったからだと坐禅儀は言っています。その間違った方向の代表が外に求める坐禅です。仏法を特別な崇高なものと捉え、自分の外に見てしまう。一人よがりの坐禅などもこの類です。自分はそうではないと思っても、知らず知らずに陥っていることがあります。だから入室して点検するのです。
独坐と規矩坐、入室、作務、これらが一つとなって修行となるのです。
「禅宗四部録 坐禅儀提唱」(平成三十一年二月二日 提唱を抄録 鉄舟会 齋藤)
「若し善 く此の意を得れば則ち 自然に四大軽安 精神爽利なるべし」
ここまで、「諸縁を 放捨、万事を止め、動静無間 」から始まって、「食事、睡眠の多少、結跏半跏、母指をつける、目を開く」など細かく注意事項が述べられてきました。そして「一切の善悪すべて思量すること莫れ、念起きて即ち覚せよ。之を覚すれば即ち失す。久久に縁を忘じて自ら一片と成る。此れ坐禅の要術なり」を受けて、「若し此の意を得れば」と続けられます。一番言いたいのはここだということです。ここを本当に体得できれば「自然に四大軽安精神爽利」になると。四大とは精神を含むこの身体ですから、重荷を降ろしたように心も身体も爽快で研ぎ澄まされるということです。
しかし「一切の善悪すべて思量すること莫れ、此れ坐禅の要術」と言われて、「わかった」「やった」「できた」となるでしょうか。次々と、妄想妄念が湧き、蟻地獄というのが本当ではないでしょうか。しかし、超えて行かなければならないところです。
白隠禅師坐禅和讃に「辱く も此の法を一たび耳にふるる時、讃嘆隨喜する人は福を得 る事限りなし」とあります。私が二十歳代の時には大森老師や山田無文老師の本がたくさん出ていました。それを読んで感激して「うん、これだ!」、「これでぶち切れる」と。任侠映画を見て肩を張って映画館を出てくるような感じです。四大軽安精神爽利、なんでも来いという感じです。しかし修行が出来ていないので現実に会うとアット言う間に吹き飛んでしまいます。「若し善くこの意を得れば」と簡単に書いてありますが、意を得るまでには相当な修行が必要なのです。
ノーベル賞受賞者の山中教授は、ある講演の中で「初心をすぐに忘れてしまう」と言う話をされています。山中教授は二十五歳の時にお父上をC型肝炎で亡くされています。当時は原因が分からず、結局、決定的な治療を受けることなく亡くなられた。闘病生活のお父上の懇願で山中教授は医者になりますが、お父上を助けられなかったその無念さから「自分は、臨床医ではなくて、医学の研究をして世の中の苦しんでいる人を助ける」と覚悟を決めたそうです。
アメリカへ渡って細胞の研究を六年間するのですが指導教官から「人が成功するためにはビジョンとワーク・ハードの二つが必要である。君が、夜中も土日も出て研究しているのは知っているが、君のビジョンは何だ?」と聞かれた。その時、初心をすっかり忘れ、研究だけしか頭になかったので「私は良い研究をして論文を出して、世の中に認められたいんだ」と答えた。指導教官は「それは、ワーク・ハードの一部である」、「ビジョンというのは、人がそれに共感して、君と一緒に働いてくれる、そういうものがビジョンである」と言われた。その時「自分は父親を亡くしたときに思ったことを忘れていた。初心を忘れていた」と気付いたそうです。
その後、三十一歳でアメリカから帰ってきて、ある医療大学院大学の助教授になるのですが、新入生を研究室に勧誘するとき、周りは有名教授ばかり、こちらはまだ無名の若造ということで頭を悩ましたそうです。しかし、その時に研究に入った動機に戻ったそうです。医学の力で人を救うという。万能細胞はIPS細胞が初めではないそうです。すでにノーベル賞を貰っていたES細胞という万能細胞がありました。しかし、これには人の受精卵から作るという倫理上の問題があったそうです。受精卵を使わず、血液や皮膚から作れたら倫理上の問題もなく安価なものが作れる。そして誰にでも使ってもらえる。このことを訴え、新入生三人に来てもらった。その人たちが猛烈に働いてくれて、六年間でIPS細胞の基礎が出来上がったそうです。それは父親を亡くした時の初心を思い起こしたことから始まっています。
「一切の善悪を思量すること莫れ」。これは実際にやってみると、非常に難しいのです。大森老師も言われているようにコマが回転して充実しながらも外から見ると止まっているように見える。そういう充実した 非思量ですから。坐禅して気持ちが良くなった程度ではダメなんです。「此の意」というのはここのところです。これを得るには時間がかかります。その為、先が見えないのです。そして途中で止めてしまう人が多いのです。しかし、誰にでも坐禅するときの初心があるはずです。その初心を忘れないことです。忘れては思い出し忘れては思い出しです。山中教授でも「父親を助けてあげられなかった」というのが原点です。
「正念分明なれば法味神を資く。寂然なれば清楽なるべし」
正念分明というのは妄想分別なく道理がハッキリしていることです。法味とは法理に対する言葉で法の情けと言えると思います。山中教授の話にもありましたが、人は理屈ではなく共感に動きます。そのように妄想分別のない無垢なところに法が現れ、なるほどと情が動いて納得する。これが法味神を資けるということです。そして、コマのように周囲は回転しているがその中心にいる主人公はドンと軸を据えている。これが寂然清楽です。
「若し已に発明すること有る者は、謂つべし、龍の水を得るが如く虎の山に靠るに似たり」
龍が水を得て、勢いよく泳いでゆく。虎が山の中に放されて駆けずり回る。「寂然なれば清楽なるべし」と言うと、仏法を沈み込むイメージで捉える人もありますが、そうではありません。自分の小さい心を離れて大きな自在な心であること、これが寂然清楽です。ここを間違えると気の抜けた禅になってしまいます。白隠禅師は見性は最初の段階だと、その後が大事なんだと悟後の修行を盛んに説いています。発明することある者はそれで終わりということではなく、水を得た龍のような、山に放たれた虎のような自在な心を錬れということだと思います。
「若し未だ発明することあらざる者も亦乃ち風に因って火を吹き力を用いること多ならざるなり」
修行している時は必死です。苦しいのです。しかし後になってみれば、あの苦しかったことが、惨めなことがあったから今があるとなります。逆風が吹かなければ真剣にならないのが人情ではないでしょうか。その逆風が風に因るところです。そして火の出るような修行の後、未発明が発明となる時、既に力を用いることは無くなっているのです。
「但だ肯心 の弁ぜば必ず相い賺らざる」
肯心、自分が、「うん」と納得するところです。玄中老師もよく仰っていました。「自分に正直にやらなきゃだめだよ」と。公案でもそうです。分かっているのかそうでないかは自分が一番よく知っている。白隠禅師は「 四智辨 」の中で、何度も何度も公案を練りなおせと言っています。新しい公案の見解が出たならば、もうそのことは忘れて、前の公案に戻って錬り直すことがとても大切です。そうしていくうちに自分は何が分かっていないのかがハッキリしてきます。そして、それに真剣に向かい合う。そうしないと、そのうち迷路に陥ったり、増上慢になってしまいます。肯心ということ、我々は心しなければならないと思います。
「禅宗四部録 坐禅儀提唱」(平成三十一年三月二日 提唱を抄録)
ここまで、坐禅の諸注意を述べ、最も肝要なのは「莫思量」、「一切の善悪すべて思料すること莫れ」であると示し、今回のところに入ります。
「然るに道高ければ魔盛んにして、逆順万端なり」
道を上るにつれて魔は盛んにして逆境も順境もたくさん出てきます。道高ければとは、自分が高まっていくということと、自分の志を更に高めるという二面があると思います。最初は何が何だか分からず坐禅する。足が痛くて三十分もできない。それに負けず努力する。そのうち、接心にも参加する、参禅もする、本も読むとなってくると色々なことを考えるようになる。坐禅することや参禅が楽しくなってきたり、公案に苦労すると、こんなことやって何の意味があるのか等と「逆順万端」です。「莫思量」と、順境も逆境も共に相手にしないことが大事です。順も逆もそのままにしておく。そのままにしておくというと何もしないのかと疑いますが、そうではありません。現在の状況をそのまま受け止めてその状況に合わせて対応するということです。順であれば、もっと志を高くして、逆であれば、それをバネに全力を尽くす。志を高く持つことが必要です。頭では分かるでしょうが実践するとなると難しい。八難といって佛道に入ることを妨げるものが八つあります。その中に世智弁聡がありますが、世間における分別才覚です。いわゆる聡明ということです。これがかえって佛道に入ることを妨げるといいます。 莫思量、愚の如く魯の如くです。
「但し能く正念現前すれば、一切留礙すること能わず」
一切留まることなく坐禅、公案拈提、行住坐臥であれば、それが正念現前であると。これでは説明になりませんが、こいうところを頭で考えはじめることがもう次で述べる魔境なのです。
「楞厳経、天台の止観、圭峰の修証儀のごとき、具に魔事を明ず。あらかじめ不虞に備わる者の如きは、知らずべからざるなり」
楞厳経には五十くらい魔境が書いてあります。天台の小止観にも事細かく書いてあります。圭峰の修証儀にもあります。それを読んでおきなさいと親切に言って下さっています。そんなものに構っている閑があるんだったら祖録でも公案の一つでも拈提しろということでしょう。
修行が進んでいくときに、気を付る一つは惰性に陥ることです。禅の修行は、長期間に亘ります。知らずのうちに惰性に陥る。その惰性のところに魔境が入ってきます。魔がさすということです。前回紹介した山中教授のように、自分は何のためにこれをやっているのか、その初心は何だったんだろうということを心の中で常に唱えていれば魔境の入りこむ隙はありません。
「もし定を出でんと欲せば、徐々として身を動かし、安詳として起るべし。卒暴なることを得ざれ」
「徐々にして身を動かす」禅定を切らないことですが、これは一人で坐禅しているときの話です。鉄舟会でみんなで坐禅しているときには、チーン・カチカチと鳴ったら、皆んなに後れを取らないでぱっと動く。それが逆に禅定を養うことだと思います。
「出定の後も一切の時中、常に方便をなして定力を護持すること嬰児を護るが如くならば、即ち定力成じ易かるべし」
坐禅を切ったあとに、定力を護ること赤ちゃんを護るようにすれば、定力がついてくるぞと。
僧堂には、定力を養うための方便が色々なところに組み込まれています。大接心を挟んで地どり、練り返しの小接心で一か月が構成されます。大接心は作務を放免しますから、朝昼晩と喚鐘があります。小接心では朝晩と喚鐘がありますが、その間は作務、托鉢などをします。大まかに言うと、大接心は坐禅を中心に静で坐りきる。小接心は作務托鉢を中心に動で坐りきる。僧堂の作務は走って道具を取りに行き、走って現場へ行って、猛烈なスピードで作業して、また走って帰ってきます。午前中の作務が八時から十時半まであり、十時半から斎坐になります。作務はもちろん作務着ですが、斎坐は衣に着替えるわけです。作務が終わって斎坐に入るまでに二分位しかない。道具を片付けなきゃいけない、何もしなきゃいけないと、そこからダーっと僧堂に帰ると、着替えに一分位しかない。一分で脱いで着て手巾も巻いて持鉢ももって整列しなければいけない。それでもう時間通りに出てなければ直日さんから「何やってんだ!」ということになるわけです。ぎりぎりまで働いて、ぎりぎりの時間で支度をする。そういう状態で斎坐に向かって、一挙に動から静に向かって行くわけです。その間が非常に詰まっているから、何も考えることが無い。これが動で坐るといった意味です。
大森老師も鉄舟会で「間を締めろ!」と常に言っていたと聞いています。嬰児を護ること云々とありますが、こうやって間を絞めていく。そうしないと定を護持することなどできません。
「禅宗四部録 坐禅儀提唱」(平成三十一年三月十六日 提唱を抄録)
坐禅儀は、定慧一等という考えで貫かれています。坐禅をする時の注意事項をいろいろと述べ、禅定とはこういうものだと示します。
「夫れ禅定の一門は最も急務たり」
修行においては禅定を培うことが最急務であると。この心を忘れないことが肝要です。惰性に陥らないことです。
「若し安禅静慮ならざれば」
安禅とは坐禅に入るということです。静慮 というのは、禅定の中国語訳です。「坐禅に入って禅定を得なければ」と次に続けます。
「這裏に到って惣からく茫然たるべし」
「這裏」というのは、「坐脱立亡」が後で出てきますので「死」という意味に取れます。また、「いざという時」、「土壇場」とも取れます。禅定がなければ茫然としてしまう。茫然とは流されるということです。
最近お亡くなりになった国際政治家の高坂正堯 さんが、過去の第一次、第二次大戦など諸々の戦争のことを国際政治的な観点から調べていくと、戦争という局面、いわゆる「いざという時」ですが、その局面に立つと、どの国民も政治家も「やるかやられるか」の二者択一になってしまうと言っております。国際紛争ですから利害が絡むわけですが、実際によく調べていくと、その当時に紛争を回避する可能性はいくつもあったということです。それにも関わらず、二者択一へ行ってしまう。これも茫然ということです。
「 所以に珠を探らば 冝しく浪を静め、水を動かさば取ること難かるべし」
これは、洞山良价禅師のお言葉です。水の中にある珠を取ろうとすれば、まず、波を静めて、どこにあるかということを見極めなければならない。取ろうとして水を動かしてしまったらば、波が立ってどこにあるのか分からなくなってしまうということです。
坐禅はまず気を静め、精神統一します。それが「浪を静め」ということです。次の「水を動かさば取ること難かるべし」ここが難しいところです。坐禅して 見解を出さなければならないといって、一所懸命考える、それが水を動かすということです。そうするとその珠はどこかへ動いてしまう。だから坐禅して「一切の善悪、すべて思量することなかれ」となります。非思量のところから思量するのです。非思量だから考えないということではありません。考えなければ見解は出てきません。それを、自分の考えで考えないということです。ですから自分の考えは、室内で否定しもらわなければならないのです。
{定水澄清なれば心珠自ずから現ず」
波が静かになって水が澄んでくれば、こんどは「心珠」、ただの玉ではなくて「心」という字を足しています、それが「自ずから現ず」。皆さんもご経験をお持ちだと思いますが、伝統の 見解とほぼ同じものが出る時があります。後から考えてみると、必ずこういう風になっています。
「禅宗四部録 坐禅儀提唱」(平成三十一年三月十六日 提唱を抄録)
「故に円覚経に云く、無礙清浄の慧は皆禅定に依って生ずと」
この圓覚経と前の楞厳経は中国において禅を発展させたものとして重要なお経です。それで「円覚経にも、智慧というのは禅定から出てくる」と書いてあると述べています。六祖慧能禅師からつながっている「定慧一等」を示しています。
慧(智慧)とは何か?ということを坐禅儀は直接説明しておりません。しかし坐禅和讃には「三昧無礙の空ひろく四智円明の月さえん」とあります。三昧無礙が「禅定」です。四智円明の月さえん、の四智が「慧」です。四智とは大円鏡智、平等性智、妙観察智、成所作智です。これにつきましては別の機会にお話したいと思います。
「法華経に云く、閑処に在ってその心を 修 攝 し、安住にして動ぜざること須弥山の如くなるべしと」
更に法華経を引用して、「静かなところに坐って、その心を 修 攝 し」と、修も攝も「おさめる」という意味です。「心をおさめて安住して、動かないこと須弥山のようにして坐れ」と。
「是に知んぬ、凡を超え聖を越ゆることは必ず静縁を仮る」
凡というのは、「俺が、俺が」で生きている今の自分、そこから脱したいと思うから坐禅して、公案の拈提をし、修行するわけです。「凡を超え」というのは、そういう振り回されている自分を超えていくところです。なんとか脱却したいと思っているところです。そして「聖を超ゆる」とは脱却したところです。それは静縁によって導かれていくと。坐禅することを静中の工夫といいますが、この静中の工夫が縁となって発明すると坐禅の意味付けをしています。
「坐脱 立 亡 は須らく定力に憑るべし。」
坐脱立亡といえば、山岡鉄舟翁の坐脱、それから、関山国師の立亡を思い起こします。いずれも死ぬことですから、いざという時です。しかし、死ぬ時とは限らず、いざという時の対応は普段の心の錬りかたに依ると。それを定力と呼んでいます。これは胆力ですが生死脱得です。生死脱得とは本源をつかみ、徹底することです。坐脱立亡はその結果です。
「一生を取辨することはなお恐らくは蹉陀たらん。」
この定力も一度開発したらそれで良いというものではありません。一生をかけて保ち養い発達させることが必要です。
「況や乃ち遷延ならば」
「何をもってか業に敵せん。」
今日は寒いから、今日は調子が悪いから・・・なんだかんだと言って、延ばし延ばしにするならば、自分を悩み苦しめているものに、どうやって打ち勝つつもりなんだと。
何かをやるときは固めてやらないとダメです。万遍なくやるということも必要ですが、緩急が大切です。
一生かけてやるという意志が必要ですが、、その中には集中没頭してやるという期間が必要です。いつかはいつかはでは埒があきません。必要性がわかっているなら決定して実行しなければなりません。
「故に古人云く、もし定力無くんば、死門に甘伏し、目を覆いて空しく帰り、宛然として流浪せんと」
そうやってある時は集中して固めてやる、そして一生かけて油断なくやる。そうやって定力をつけていくのです。一人でやるのは危険です。指導者について道友とともに歩む。そうしないと定力と思っても、あらぬ方向へ向かう時があります。本物の定力をつけないと現実のところで役に立たない。しまいには禅なんてということになり、相変わらず腹に落ちることなく、さまよい続けるぞといっております。
定力というと腹ができているとか、落ち着きがあるとかのイメージが強いようですが、定力というのは、正しく生き抜いていく智慧を持つ定力です。そういう定力を開発するのが坐禅です。
「幸いなることは、諸の禅友、三たびこの文を 復 って、自利利他、同じく正覚を成ぜんことを」
最後に「幸いなことに禅友の皆さん、ここに坐禅儀があるから、これを何度も何度も読み返しなさい」と述べております。この坐禅儀は削りに削った文章になっています。一度読んで、さらっとわかったつもりにもなってしまうかもしれません。しかし、一字一句を丁寧に心をこめて読んでください。この一字一句は自分にとってどういうことを意味するのかと具体的に自問自答するのです。これは根気のいる仕事ですが、しかし、その段階段階に応じて発明することがあります。そしてその発明が智慧となります。それほど奥深いのです。
自己を究明すれば必ず他己を究明することになります。世界がどういうものかがハッキリとわかります。そして、それを現実の世界で、自分も相手も生かしていくということに発展させていく、それが「自利利他正覚を成ぜん」という実行力です。分かっただけでは足りません。それを実行してこそ坐禅の意味があります。そのために「三たびこの文を復って」深く吟味して坐ることが必要だと思います。
講了
「禅宗四部録 坐禅儀提唱」(平成三十一年四月二十日 提唱を抄録)
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