鉄舟再復刊55号掲載
書は人なり
心のバロメーター
これまで述べたように、書はそれを書いた人の境涯を隠すことなく現わしています。その人の気力の有無、品性の高低など、具体的に手にとるように判断することが可能です。
もちらん、他人の書だけでなく、自分の書を見て、反省の材料にすることもできます。自分の長所・欠点は自分ではわかりにくいものです。長所を伸ばし欠点を是正していくことが修行であるわけですが、以前とくらべて自分が果たして向上の道を歩んでいるのか、同じところに停滞しているのか、それとも逆に退歩しているのか、それを絶えず自分で確かめながら進んでいかねばなりません。そのためにも、書は自分を見つめる材料として絶好のものなのです。
私も、ときどき昔の自分の書を引っぱり出してきて、現在の書と見くらべながら、自分がどの程度まで進歩してきたか、精進に怠たりがないかを自ら点検しています。いくら自分をごまかそうとしても、そこに客観的に出ているのですから、逃げも隠れもできません。真正面から対決するより仕方がないのです。書は、そのときどきの精神状態や気力の程度を示すバロメーターでもあります。
もし、これではいけないというものを発見したとしたら、姿勢を正し、精神を充実し、全身の気力を集中して再び筆をとる。しかし、いくら気力をこめても、肝心の体内のエネルギーが不足していれば、強い、澄んだ線は決して出てきません。いくら気力をふるいおこそうとしても、出てこない道理です。そのときは坐禅をする。呼吸をととのえる、あるいは剣道をする。そういうことで気力を練り、心境を高めてゆく。そしてもう一度筆をとって、自分で確かめてみる。そういうことができるのが書道のよいところといえます。
心境の変化で書が一変
書は、大きな悟りを開いたり、心境に大なる変化を来した場合、ガラリと別人のように一変することがあるのが特徴です。こう言うと、年をとって書体が枯れてくることはあっても、悟りを開いたからといって書が変わることは考えられない、法螺を吹いているのだろうと疑う人があるかも知れません。
けれども、書がその人の心境を反映するものだとしたら、心境に大なる変化があれば書のほうも変わるのが、むしろ当然だといえるのです。
横山天啓翁は「手紙の文字一変せる時を以て書道の見性とす」と「伝書」に記しています。事実、翁自身の一日を隔てて書いた手紙の文字が、まったく一変しているのを、私は自分の目で確認しています。
山岡鉄舟は剣道家として第一級の人物でありますが、書のほうも入木道第五十二世を継いだ近世の名筆家の一人です。
鉄舟は四十五歳の春、五位兼中至の頌「両刃鋒を交えて避くるを須(もち)いず、好手還って火裏の蓮に同じ、宛然として自ら衝天の気あり」の公案を解き、大悟します。それと同時に、それまでは剣を構えると、必ず巨巌のように面前に現われていた彼を威圧して悩ました師浅利義明の幻影も、その刹那に消え去ったという話は、「剣の心」ですでに述べたところです。
実はそのときに、書のほうもガラリと変わったというのです。「余、剣・禅の二道に感ずるところありしより、諸法皆其揆一なるを以て、書亦其筆意を変ずるに至れり」と、自ら記しているとおりなのです。
私は、鉄舟の墨跡を年代順に追ってみることで、このことを確かめてみました。なるほど鉄舟の書が四十五歳をもって、その前後で墨気、力量、深さ、筆意において大きく変わったことは、実物を見れば歴然たるものがあります。それ以前の鉄舟の作品も、墨気は清澄で相当の力量が認められますが、まだ世間にザラにある程度で、大して驚くほどのものではありません。旧書『書と禅』に写真で示しましたが、鉄舟四十五歳、すなわち大悟の年の秋に書いた「龍虎」の屏風があります。これになると、さながら天を衝かんばかりの気迫、何ものをも寄せつけない猛虎のような溢れるばかりの力量、飛龍のように躍動する線、冴えて深遠味のある墨気、それ以前とくらべたしかに一大飛躍があったことが墨気からうかがえるのです。
ついでにいえば、鉄舟の書はこの段階にとどまらず、さらに晩年に変わっていきます。詳細は略しますが、鉄舟は四十九歳の春、庭の草花を見て、生死の根本を截断することができたといいます。私は、鉄舟その人の完成期を四十九歳から五十三歳の間と見ていますが、この時期の作品になると、もはや表面的な強さは影をひそめ、線は柔軟になっています。墨気はさらに明るく冴え、深遠で、書の理想とする温潤味が豊かに感じられ、接する人をしていつまでも去りがたい思いにさせるものがあります。
このように鉄舟の書は一生を通じて大きく変わっていきましたが、これは技法の習熟によって変化を生じたものではなく、まったく人間としての境涯の深化、向上化による墨気の深まりというべきでありましょう。まさに書は人なり、という言葉を如実に見る思いがするのです。
模倣でない自分の字を書く
今の書道の一番の欠点は、先生の字を模倣することをもって、よしとしていることです。だから、弟子の書く字がすべて先生のイミテーションになって、個性というものが一つも感じられません。
例えば書の展覧会にしても、審査員が五人いるとすれば、出品作品に①から⑤まで番号をつけて、この作品は①、この作品は③、この作品は④というように、全部を五種類に分けられる。極端にいえば、それほどみんなが自分の先生の書体に似せて書いています。
私は以前、文化財研究所の田中一松さんの講演でこんな話を聞きました。日本の禅僧の水墨画展をパリでやったときです。その画の選定にあたって、第一級の国宝級のものは持っていっても外人にはわからないだろうし、破損でもしたら困るというので、二、三級のものを多くし、一級品はごく何点かにしたというのです。ところが、現地で幕をあけてみると、その一級品、なかでも白隠のものに人々が殺到し、異口同音に驚嘆の声をあげたというんです。
翌日の新聞に、向うの美術評論家がそれについて最高級の評価を下していたのですが、その少し前にパリ在住の日本人画家が展覧会を開いたそうで、それと対比しえ次のように言っているのです。
「日本人画家の展覧会は、あれはマチスのイミテーション、これはピカソのイミテーションと、みんなイミテーションばかりで人間不在の展覧会であった。日本人は国民性としてそのような傾向があるのかと思っていたら、こんどの水墨画はいずれも個性的で、そこには人間が厳存し、正しく躍動していた。こういう素晴らしい作品をかつて制作できていた日本人が、どうして抜け殻のイミテーションしか描けなくなったのか」。
まことに手痛い指摘ではありませんか。書でも画でも同じことです。いくら巧みに書いてもイミテーションではしかたがない。その人自身の画になっていないと三文の価値もないと私は思います。
先生の書体の模倣では、習字にはなっても書道とはいえません。人間形成には何の役にも立ちません。
しかし、そうはいっても、先生や古の書聖の書を手本にして学ぶことを否定するものではありません。
書道には臨書といって、すぐれた書を手本にして書くことは、昔から行われている大切なことです。私の道場でも、熱心にやっているのです。
私のところでは、鉄舟の書を手本に臨書しています。ただし、臨書の目的は書体、形を真似るためにするのではありません。
鉄舟さんは鉄舟さんの気合でその字を書いていますね。それをわれわれは臨書することで、鉄舟さんの気合と合わせる。書いていくことで、鉄舟さんお気合の波調、心の波調と合ってくる。鉄舟さんの字を臨書することで、自分が鉄舟さんと同一の気持になって鉄舟さんの気力を体得する。そこが臨書の目的なんです。そういうつもりでやらないで、字の形だけ真似ていたのでは、何にもなりません。
臨すべき書の墨気、その線条の強弱や躍動性の有無、そして気力などを見て、それらを学びとるということが大切なんです。技巧や形を無視せよなどとは言いません。それを学ぶことはもちろん必要ですが、書道の本質が何であるかを絶対に見失わないでほしいと思います。
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