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三等の弟子

古来、修行には三等の弟子がいるといわれます。師の勢いにつく者、師の徳につく者、そして師の恨みにつく者です。恨みにつくとは、師匠から罵詈雑言されても歯をくいしばって、ついていくことです。この第三番目が上等の弟子だといわれます。

しかし、この三番目も超えてしまったところに本当の修行があるのではないでしょうか。

その昔、長慶大安禅師はまだ雲水だった時、潙山霊祐禅師のもとで20年間修行をしました。

しかし、潙山のもとにいて潙山の仏法を学んだことはない、と断言されます。そして今、自分の中の仏様がいききと現れていると言っております。師匠につくことは必要です。しかし、主体性を失ってしまうと自分の中の仏様がぴちぴちとして現れることは無いことを言っているのです。