昔から禅の修行は運鈍根だと言います。鈍というのは自分をごまかさず真正面から立ち向かうことです。根というのは根気、続けるということです。人生を長期的に見るとこうなると思います。
それでは、運とはなんでしょうか。
運が良いとか悪いとか言いますが、運とは仏教でいう縁だと思います。人との出会い、時代の到来、環境などいろいろな縁がありますが、どんなに鈍根と因を積んでもこの縁がなければ成り立たないのです。そして追いかけてもだめ、追いかけなければやはりだめという厄介なものなのです。
修行が成り立つ縁を受解の縁とも申しますが、このなんとも厄介なところに我々は立っているのです。ですから、今修行が出来る人は、その縁を大事にしなければなりません。大事にするということは気を抜かないで今に集中することです。これにより、縁が舞い込んで来るのです。縁を見逃さないのです。