我々同人の請願は、要するに正見の体現であり、その生活化である。正見とは無我の正覚に外ならない。これこそ、そしてこれのみが、人生の唯一の指導原理である。何人と雖もこれなくして、人生を正しく生き得るものではない。
われわれは、この請願ゆえに、久しく鉄舟会に拠って互いに切磋琢磨してきた。
いまはこの請願ゆえに、その正見を各自の専門の道を通じて表詮しようと思う。禅に、書に、画に、剣に、そして詩に、もとより正見それ自体は絶対的な道理の眼である。ではあるが、一面それは邪見と相対的な境位をも含むものである。その立場においては、われわれは邪見に対しては仮借なく折伏してゆこうと思う。
われわれのこのささやかな営みが、願いの彼岸に果たしてよく達しうるか否かは、ひとえに同憂の高士の賛助による外はない。希くば絶大の庇護を賜らんことを。