Posts tagged with "坐禅"



日単 · 2024/07/14
 7月11日(水)夜から14日(日)まで接心を行いました。今回はのべ7名が参加して玄了老師のもと集中して坐禅修行に励みました。 (日程概要) 11日(水) 20:00喚鐘、打坐(30分、20分、10分) 12日(木) 04:15喚鐘、打坐、粥坐 06:00退出、各自出社 ---- 20:00喚鐘、打坐(30分、20分、10分) 13日(金) 04:15喚鐘、打坐、粥坐 06:00退出、各自出社 ----...
日単 · 2024/05/05
 連休にかけて5月1日(水)夜から5日(日)まで接心を行いました。今回はのべ6名が参加して玄了老師のもと集中して坐禅修行に励みました。 (日程概要) 1日(水) 20:00喚鐘、打坐(30分、20分、10分) 2日(木) 04:15喚鐘、打坐、粥坐 06:00退出、各自出社 3日(金) 04:15朝課・喚鐘、粥坐 05:30打坐(30分×2)  日天掃除、作務 09:00打坐(30分×3) 10:30斎坐...
'Zen' manifested in daily life
Booklet Teshu · 2024/04/01
Zazen at Teshukai has appealed to me for its simplicity, unpretentiousness, and sincerity. The appearance of Kohoin itself is different to a typical Japanese Buddhist temple and well represents the Zazen practiced at Kohoin, namely simple, humble and austere. However, the atmosphere, while calm, is alive with an energy which you can feel when you walk in.

日常生活に現れる禅

十牛図提唱10
鉄舟誌より · 2024/03/30
返本とは修行する前のところに戻ってくるということです。そして日常のところに、修行前までは見抜けなかった物事の本質、本源を発見しているので還源といいます。 本源から見ますと、すべてが光を放っていることがわかります。そして、その光が無限の過去から無限の未来にわたっていることも分かります。また空間的に、ここから無限の彼方まで及んでいることも分かります。 時間的にも空間的にも貫いているのです。

日単 · 2024/03/24
3月24日(日曜日)  高歩院、鉄舟会禅道場が所属する中野区小淀西町会の皆様むけのお茶会を高歩院の広間で開催しました。 昨年6月につづき、2回目となります。  冒頭、鉄舟会理事長の石井から町会の皆様への挨拶につづき、小淀西町会長の久保内様から高歩院の紹介とお茶会の企画についての説明をいただきました。...

十牛図提唱9
鉄舟誌より · 2023/11/27
よく我を忘れるということを言います。夢中になっているときのことですが、子供を見ているといつもこんな状態です。それでは、それはここでいう人を忘れるということでしょうか。 前回の忘牛存人は牛に全幅の信頼を置いているところです。牛とは道です。今、自分が歩んでいる道への不安不信というものが無いところです。 確固たる足取りで道を進んでいます。この道の先の明かりを確信しているのです。ですからその道と自分とは一つになっているのです。  いくつもいくつも道が見えていたり、枝分かれすることもないのです。一本の大きな道があることを確信しています。迷っていないところです。ぐいぐい進んでいる

日単 · 2023/11/19
11月15日(水)夜から19日(日)にかけて11月の接心を行いました。 今回は5名が参加し、玄了老師のもと坐禅修行に励みました。 木曜、金曜日の日中は参加者はそれぞれ道場から職場へでかけますが、夜は道場へ戻ることで定を切らさないように努めました。 (日程概要) 15(水) 20:00喚鐘、打坐、開枕諷経、夜坐、宿泊 16(木)、17(金) 04:15喚鐘、打坐、粥坐...
日単 · 2023/09/23
9月23日に9月度の坐禅と法話の会を行いました。今回は初めて参加いただいた方が5名あり、そのうち3名の方は、法話の会のあとの書道にも参加し、大筆を手に半切に禅の書に挑戦していただきました。 「坐禅と法話の会」はその要素を「土曜例会」に融合し、毎週土曜日に新たな例会として開催することになりました。皆様のご参加をお待ちしております。
十牛図提唱8
鉄舟誌より · 2023/07/31
禅の本に書いてあることが理解、納得できないことを十牛図の言葉を借りれば「法に二法あり」となります。つまり、禅の本に書いてある法と自分で理解した法のイメージの二つが存在するということです。  先ほども申しましたように、本に書いてあることに共感でき、自分もそうだと思う、自分の体験からこれはその通りだ、と言えることができれば書かれていることと、自分とは一つになっているわけで、二つの法はないわけです。ここを十牛図では「法に二法なし」と表現しているのです。

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